それで、官房長官は、四月二十一日投開票の衆議院沖縄三区の補欠選挙の自民党公認候補を応援するために去る二十四日午前に沖縄県に行かれたと思うんですけれども、辺野古の埋立現場へ行かれましたか。
昨年十二月二十日に、御子息の吉川統勝氏が、四月の統一地方選、北海道の道議選、札幌市東区の自民党公認になりました。昨年十二月二十日です。その翌日、十二月二十一日に、農林水産大臣秘書官に任命されておられます。 これは、いわゆる選挙に有利になるように自分の息子を箔つけする人事そのものじゃないですか。
例えば、自民党公認のところに公認者がいて、全然関係ない野党に挨拶に行くことはこれはできないと思うでしょうけれども、取りあえずアメリカの、同盟国の選挙でありますから、どちらに転んでもいいように回っておくべきだと思うわけでありますけれども、その辺はそういう作業がなされたという、努力されたということなので、これは私からの質問だけにしておきます。
なぜ負けたかのいろいろな要因はあると思いますが、一つは、その原田副大臣が御支援された、いや、別に自民党じゃないですよ、自民党公認じゃないんです、原田副大臣が推薦をされた候補が、実は、この私の地元にあるダイオキシンというのは、もう無害化できています。(発言する者あり)関係ないと誰か言いましたか。誰、ちょっと手を挙げてくださいよ。関係ないですか、復興と環境問題。(発言する者あり)大事ですよね。
やはり、このときは、それぞれ三大臣がどうかわかりませんが、全国各地の自民党公認候補は、TPP断固阻止、その鉢巻きを巻いて農協集会に行ったはずであります。そういう意味では、農家の人たちが今不安に考えていたり不誠実だと思うのは、このときの対応から始まっているんです。
二〇一四年の衆議院選挙のとき、新潟二区で立候補した自民党公認の細田健一候補の劣勢が噂されるなか、地元の柏崎へ応援演説に訪れた。この演説会には弟が招かれたのだが、多忙だと断ると、何と両親が駆り出された。会場で、安倍首相と細田候補から、「拉致被害者、蓮池薫さんのご両親も来ておられます」と紹介を受けたのだ。 「結局、安倍さんのダシにされただけだね」と、母は嘆いていた。
御案内のとおり、民主党公認の候補が得票率七四・一九%、自民党公認の候補二人合わせて二四%でした。これは明らかに塩谷町民が、絶対だめだ、白紙撤回だ、そういうことに賛意を示した結果なんですが、環境省として、大臣、どう受けとめていますか。
○荒井広幸君 安倍幹事長時代に自民党公認をしていただかなければ、私は小泉総理と郵政で戦って落選をいたしました。安倍幹事長に公認を無理してでもいただかないと、今、今日、私はここにおりません。大恩はありますけれども、是々非々でやらなければなりません。 同時に、安倍総理も本当に、恐らく、我々政治家として少しは理解できます、想像できます、大変な日々だったと思います。
しかも、沖縄の四人の自民党公認候補は、全員が県外移設を公約に掲げて当選しています。選挙が終わったら、手のひらを返して新基地を押しつけるなど、断じて許されるものではありません。 沖縄県民の総意に応え、県内移設は断念すべきではありませんか。 傍若無人で沖縄全土を飛び回っているオスプレイ配備撤回も県民の総意です。
私は、このままだったら日本の農業はだめになるし、日本の予算そのものもだめになる、そういうことで、自民党公認がいましたけれども、私ごとで申しわけないけれども、無所属で立候補したんです。そして、有権者の皆さん方の賛同を得たんです。 今、それと同じような図式が民主党の手によって行われているではないですか。一九九三年あるいは二〇〇〇年代の前半に行われたことが、今、民主党の手によって行われている。
自民党公認候補であるあなたに投票した人、それから同じ小選挙区で戦って海江田大臣を応援した人、そして自民党の比例区で自民党と書いた人、こういう人たちに対する三重の裏切りだと、こういうお気持ちはありませんか。
与謝野大臣は、自民党公認で小選挙区に出馬し、比例区で復活当選できたのですから、今回の行動は与謝野氏に投票した人に対する裏切りであり、直ちに自民党に議席を返上すべきであると思います。 かつて、比例区で復活した民主党議員が離脱したときには、当時の菅代表代行は議席を党に戻した上で行動すべきだと発言されました。
自民党大先輩の野中先生も、土改連会長という立場で、自民党公認候補を擁立することを断念してまで予算の復活を求めましたけれども、ゼロ回答でありました。 大臣、あなたは、何度も申し上げましたけれども、農林水産行政の最高責任者なんです。こういうことをやられて、小沢幹事長に、例えばどなり込んでいって、異議申し立てなどをされたんですか。前の質問で私はちゃんとお願いをしてあります。
やはりこの件に関して、これも報道されておるんですけれども、四月十六日付の日刊いわくにとか四月二十九日付の朝日新聞の記事によれば、公明党の北側幹事長が、与党公認候補の決起集会、四月十四日に実施された決起集会ですけれども、あいさつをして、自民党公認候補を勝たせてくれるなら岩国の民間空港再開を必ず与党の責任で実現させていただくというふうに発言されたというふうに報道されています。
北側幹事長が言っておられる、自民党公認候補が勝つことと民間空港が再開するということとは、国土交通省の行政においてどういう関連があるんですか。
御存じのように、四月二十七日に山口県の第二区の衆議院の補欠選挙がありまして、民主党の平岡秀夫さんが当選をされ、自民党公認の山本繁太郎さんが落選をした、こういう選挙結果でありました。 その選挙のさなか、四月十四日の日に公明党の北側幹事長が山口に来られて、有権者の約二百人ぐらいに対して、勝たせてもらったら岩国空港の民間再開を与党の責任で実行する、こういう発言をしておられます。
これは、グリーンピアの問題で、全国十三カ所中八カ所が歴代の厚生大臣の地元に集中をしているということで、これは当時の厚生年金局長としてグリーンピア構想を発案しました横田陽吉さんが、一九七六年、昭和五十一年十二月の衆議院選挙に当時の宮城一区から自民党公認で立候補されて、選挙公報で、「大規模年金保養基地(百億円、岩沼に誘致)」というふうにこの選挙公報でその実績を宣伝されているということであるわけでございます
その当時、沖縄県政は大田革新県政の絶頂期であり、特に、基地の町である宜野湾において自民党公認として県議会議員になるということは、非常に強いアゲンストでありました。マスコミ各社からも厳しい予想をされておりましたが、橋本・クリントン会談という歴史的な節目に沖縄県政に乗り込んでいって、普天間問題を解決していこうという思いでいっぱいでありました。
○内閣総理大臣(小泉純一郎君) 当時は様々な意見がありましたけれども、たしか私の記憶では、自民党公認で出たいんだったらば、社長を辞めなきゃそれは認めないと、どなたかが堀江さんに言ったと聞いておりますね。そうしたら、それは無理だと、じゃ公認はできないと言ったら、御本人が、じゃ無所属で出ると、それならいいだろうというふうに私は聞いております。
堀江貴文氏は自民党公認候補ではありませんでしたが、自民党本部で記者会見を行い、選挙期間中は武部幹事長や竹中大臣などが次々に広島六区に入り、公認候補以上の応援体制をしきました。いや逆に、自民党自身が堀江氏を、小泉改革の広告塔、総選挙の象徴的存在、ネット世代の若者を取り込む票寄せパンダとして大いに利用したのであります。